■コメント COMMENT


のっけから何か異様な緊迫感に包まれていてプール監視員の水原さんの日常から目が離せない。

途中から渡辺紘文監督ご本人演じる水原さんの相方男の御託に大笑いしながらも、その間ずっと、いったいどこに連れて行かれのだろうかと胸のざわめきが消えず目が離せないでいると、イメージの洪水に溺れそうになり、何かすごいものを見た気になるのだが僕の語彙では言い表せない。

渡辺監督の弟、渡辺雄司音楽監督の仕事もますますこの映画を不穏に盛り上げる。

ふと丸山健二の「ときめきに死す」(森田芳光監督が映画化)を思い出したりもした。

テロという言葉だけが共通なのかもしれないが、あの小説の主人公がテロリストの男にときめくように、僕もこの映画にときめいてしまった。

水原さんが渡辺監督演じるあの男にあてられた?ように僕もこの映画にあてられた。

もしかしたら渡辺兄弟は日本映画界のシューター、あるいは用心棒のような存在になるのではないだろうか

 

                                                                              足立紳(脚本家・映画監督)


日本にはオリジナル映画が少ないから渡辺紘文監督をサポートしないと!

『プールサイドマン』はもちろんオリジナルでユニークな映画だけど、それだけじゃなくて、本当に面白い映画!

映画はエンターテインメントとアートのバランスが大事。

笑うし、よく考えるし、そのバランスでいい映画ができた。

                            

                    アダム・トレル(映画プロデューサー)


忘れ物がないかとロッカーの中身を調べる仕草。

日々の点検であるボイラー室の空間と音。

一軒家の佇まい。孤独に寄り添う貸切の映画館。

ラジオと食事とおしゃべりな同僚。

圧倒的に白黒画面に映えるプール。

特別なことをせずともすべてが魅力的な映画です。

いや、相当に変なのですが。

 

                            今泉力哉(映画監督)


渡辺監督が演じる主人公の同僚が喋れば喋るほど、映画の中に充満する消費主義的な価値観、空虚さ、薄っぺらさは今の時代を炙り出しているように感じた。

直接的なセリフを一切用いず、映画内にそういった空気が充満していくさまは見事でいてクールだと思った。

それから「水原さん!水原さん!」のところは何度見ても笑ってしまう!

 

                            大内伸悟(映画監督)


『プールサイドマン』は、  日本でもっともエキサイティングな若手作家のひとりである渡辺紘文監督の、唯一無二のスタイルを貫いた作品である。

 

                                            カレル・オフ(カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭 アーティスティック・ディレクター)


こんなにも誰にも媚びない映画があるでしょうか。

凄まじい単調さと地味さ。でも日常なんてほとんどそんなもの。

私は、日常の単調さ、地味さを知っている映画を信じます。

インスタグラムにパンケーキを載せる人には理解できない映画かもしれない‥‥いや、もしかしたら最も理解出来るかもしれません。

この残酷な日常と、矛盾に満ちた腐った世界を紛わす為に、ある者は自爆し、ある者はパンケーキをアップし、またある者は映画を撮るのです。

自爆する者、パンケーキをアップする者、映画を撮る者になんの差がありましょう。

渡辺監督に映画があってよかったです。                                                          

 

                           坂本あゆみ(映画監督)


この映画は私に、あなたの人生には、どういう意味がありますか、と問いかけてやまない。

  

                                          佐藤忠男(映画評論家)


色のない世界で、人物が淡々と機械のように同じような毎日を過ごしている。

でもその中は、鬱屈した感情と世の中への疑念がマグマのように煮えたぎっている。

ノーリアクション男も、監督演じるお喋り男も、孤独であることに変わりはない。

二人は繋がっているようで繋がっていないようで繋がっている。

見終えたあと、行き場のない感情に支配され、胸が詰まった。変だ、泣かせる映画じゃないはずなのに......?

乾きまくったシニカルなまなざしがヒリヒリ痛いけれど、世界に真っ向から対峙しようとしている、とても誠実な映画だと思った。

 

                                 杉野希妃(女優・映画監督)


プールサイドとは、北関東の辺境地のことかもしれない。渡辺兄弟と同じく北関東に住み映画を作っている身として、あえてトライブ的に捉えてみたい。我々、北関東派は、利根川より北に住む者である。つまり、我々と東京派は利根川で分断されている。我々、北関東派の土着的性格はこの分断によって形成された。また縄文顔というのも重要な点である。かつて、利根川より北、つまり北関東は、いわゆる蝦夷の領分であった。まさしく利根川は、大和と蝦夷の戦闘の最前線であり、結果、蝦夷は駆逐されるか、北へ追いやられてしまった。戦闘の記憶は様々な形で土地に残っている。神社の主神、祭りの形態を参照されたい。そして、辺境とは流刑地でもある。大和のならず者は、この地に流れ着き、我々と共に山に篭り、ゲリラ化していった。そこでやることと言えば、専らフラストレーションを溜め込むことに尽きる。そして、その矛先こそが北関東派の特徴である。それは映画を観て確かめて頂きたい。

また、私が暮らす水戸と彼らが暮らす大田原を繋ぐ川がある。水源は那須岳で大田原を抜け、水戸に流れる那珂川だ。我々は同じ水源で結ばれている。那珂川は我々の友好的線であり、利根川は境界線なのだ。それは東京と我々を分断している。その境界線を越えて、渡辺兄弟が大和に赴くようだ。我々、北関東派は、西洋文化を独自の方法で解釈しはするものの、やはり、土着的な体幹を持っている。だからと言って大和的なものに抗うような荒ぶる者ではない。なんせ利根川を越えて大和に赴くのだから。是非とも歓迎して頂きたい。

 

                            鈴木洋平(映画監督)


ぼくは退屈な日常は平和であるというベースで映画を作ってきましたが「プールサイドマン」を観ると、そういうことでもないらしい。狂気は退屈な日常からも十分起こりうるのだ。

劇中では淡々と、機械的に日常を過ごしているだけでもなんとも言えない狂気を孕んでいるのだが、モノクロの映像と音楽も相まって不穏で不安な気持ちにさせられる。

映画の作り方は結果的には少しトリッキーで、題材選び、構図、劇伴、全部うまくて嫉妬しちゃいました。

最近特に商業もインディーズも誰が監督しても同じような映画ばかり中で異彩を放つ究極の一品。

渡辺監督は映画めっちゃ好きなんだろな、と思わずにはいられない映画です。

要チェック!

 

                                                                          塩出太志(映画監督)


プールの水面が平和に揺れている。

まわりの人々はその平和に包まれて罪のないお喋りに興じている。

その傍らには、ひとりの男がいるが、その瞳は何ものも映そうとはしない。

社会との接続を失ったとき、人間はその獣性を剥き出しにする。

渡辺監督も自分も映画を通して社会と接続している。

もしその接続面がなかったとしたら、と考えると背筋が凍りつく。

 

                           中川龍太郎(映画監督)


東京国際のスプラッシュ部門で、初めて観た時の衝撃は今でも忘れない。

作品賞を獲るのは、この作品だと直感していた―。

渡辺監督は、間違いなく、邦画の新しい文法を切り拓いていく監督の一人だ。

そして、『世界の中の、日本映画』を発信できる監督の一人だ。

 

                                    春本雄二郎(映画監督)


ひとりの男の身体の見えない影に潜む孤独をこれ以外考えられないぐらい適切で大胆な手法で突きつけてくる。

こんなに野心的な映画が毎年あと10本でもあれば日本映画の未来は明るくなるだろう。

大田原愚豚舎があってくれて良かった。ありがとう。

 

                                                                                                             深田晃司(映画監督)


他人との関りを全く持とうとしない極端な『コミュ障』の男を描いた映画だが、このイビツな主人公は、単なる奇人変人ではないし、モンスターでもない。

この男の姿に自らの孤独や狂気を重ね合わせ、ある種の共感を覚えながら観るであろう人は、今の日本には、かなりたくさんいると思う。とりあえず生体を維持させるためだけの、なんの喜びもない労働に最低限の時間を切り売りし、あとはカラの中にこもって妄想だけを育てている孤独な人間は、東京にも北関東の小都市にも腐るほどいるはずだ。

救いがないといえば救いがない話で、いくらでもジメジメと鬱陶しく語れる題材だが、そんなふうになっていないのは、独特の乾いたユーモアがあるからだ。この主人公には愛想のカケラもないが、この映画自体には、愛嬌がある。

その愛嬌は、渡辺監督自身のパーソナリティーに由来するものだと思う。

モノクロのカメラで抽象化された世界は、荒涼とした「負」の気に充ちてはいるが、その空間の肌ざわりは、自分にはとても心地良いものだった。

すこぶる刺激的な映画です。観た方がいいと思います。

 

                            藤田容介(映画監督)


東京国際映画祭シネマ・スプラッシュ部門の私のベスト。

しかしてそれは審査員の一番のお気に入りでもあったのだ。

 

                マーク・シリング(VARIEY / JAPAN TIMES)


この映画のあまりの面白さに取り憑かれた私はしばらくこの映画を語る言葉が思い浮かばずほとほと自信を喪失していた。困り果てた私は、ちょっぴりインテリチックな友人相手にこの映画のことを身振り手振り、演技交えて語り尽くした。そこで出てきたコメントを以下に掲載する。

 

「この監督は、脇役である自分の言葉に投影したありとあらゆる日本の多面性…それはつまり貧困であったり、政治のだらしなさであったり、アイデンティティの不在といったこの国の全ての〝うまくいかないこと〟であるのだが…を、浮き立たせるために主人公を含めた全てのステージを空白化し、空白の箱庭を作ったのだと思う。その空白が観客の想像をフルに掻き立て、後半世界を一変させ輝きを放ったのは結局のところ監督のある種ピエロめいた喜劇役者の振る舞いであり、芯を食う喋りなのだ。現代社会における問題提起もピエロに喋らす事で真意は万人の懐へ。空白とピエロで語るこの作品。演技演出音楽内容構成与える印象作品から醸すその絶妙な一切に於いて、恐ろしい程彼は計算尽くなのである。」

 

これを聞いた私は、やべぇあってる、と思うと同時にこれらの言葉を引き出した自分の表現力に自信を取り戻したのだった。

と、奇をてらって溢れる興奮、お伝えしました♡

 

                                            松本まりか(女優)


その名を口にするだけで、あの世界が呼び起こされる、ああ、大田原愚豚舎!

大田原愚豚舎の最新作、プールサイドマンをついに日本で見ることができる!

あの反復、いらだち、哄笑、いらだち、恐怖、いらだち。ついには、私たちの実体を見ることになる。

映画好きならばは絶対見るべきであり、映画などほとんど見ないという人も見るべきである。

要するにすべての人必見の、今年最も重要な映画なのだ。                      

 

                                                                               山内ケンジ(劇作家・映画監督) 


繰り返されるプール監視員の単調な日常。

その中で狂気はじわじわと水位を上げ、溢れ出すのを待っている。

誰ともコミュニケーションを取らないくせに、誰よりも世界の手触りを知りたい主人公。 遠い国の戦争やテロのニュース映像を見たとき、それがどこか作り物のように感じられる、その違和感の中に、この主人公は生きているのだろう。

 

                                            吉野竜平(映画監督)